3月9日(水)令和3年度第75回卒業証書授与式が実施されました。保護者の参加については、コロナ禍での実施ということで各家庭2名までとしました。保護者の皆様が見守る中、卒業式が始まりました。卒業生は、緊張感の中、愛川中学校で過ごした3年間を思い出し、またスタートでもあるこの節目に、それぞれの決意と希望を持って式に臨んでいました。
卒業証書授与は、担任の呼名で校長先生から証書が一人ひとりに手渡されました。「卒業生別れのことば」のなかに組み入れた合唱「プレゼント」「足跡」では、感謝の言葉と、夢と希望と勇気を持って歩んでいく気持ちが場内に伝わり、75名の卒業生の新たな道へのスタートが切られました。
学校長による令和三年度卒業証書授与式 式辞は、次の通りです。
吹く風にも、ようやく春の気配が感じられ、学校から見える景色の中にも、徐々に明るい色合いが見えるようになってきました。こうした春の本格的な訪れを間近に控えた今日のこの良き日に、「第七十五回卒業証書授与式」を迎えることができました。
しかし、二年以上も続くコロナ禍の影響で今年度も、在校生や来賓の方々が不在の式となってしまったこと、大変残念であり、悔しい思いで一杯です。
さて、七十五名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
今、皆さんお一人お一人にお渡しした卒業証書は、突然の長期にわたる臨時休校や様々な制限や制約があった、史上まれに見る中学校生活三年間を皆さんが懸命に生き抜いてきたことの証です。
授業や楽しみにしていた行事・部活動の大会が、予定通り実施できるのか等、先行きが見えない不安や焦り、この二年間相当悩み、そして苦しんだ時間があったものと思います。
それでも皆さんは、自分らしさを決して見失うことなく、様々な活動に懸命に取り組んでくれました。その姿にどれだけの人が勇気づけられ、励まされたことでしょう。
ここまでのコロナ禍での苦しい時間、愛川中学校を支えてくれたのは、皆さんたちの明るい笑顔であり、真剣に物事に取り組む真摯な姿でした。ありがとう。感謝しています。
皆さんは、4月から新たな環境での生活が始まります。地元の学校に通う人もいれば、
県外で高校生活をスタートさせる人もいます。
これからは、生活する場も、目指そうとする道も今まで以上に、人それぞれとなりますが、そうした皆さんに我々がまず願うことは一つです。
進んだ先でしっかりと自分を生かせる場所を見定めて、そこで一生懸命自分磨きをして欲しいと言うことです。自分が一番輝ける場所や役割を見つけてください。そして、それらを糧に未来をたくましく切り開いていくための確かな歩みを進めて欲しいのです。
遠くない将来、人工知能(AI)の発達により、今ある多くの仕事が人の手を離れ、ロボットなどの機械が担い、加えて高齢化がさらに進行し、百歳以上まで生きることが、特別ではなくなる時代が到来します。
このように、皆さんがこれから歩んでいこうとする未来は、変化が激しく、その変化の量も大きい、正直先行きの不透明な時代です。こうした時代をたくましく切り開き、生き抜いていくためには、それ相応の備えが必要です。
幸いなことに、皆さんにはすでに、素直さであったり、優しさであったり、人を思いやる心など、心豊かで人として素晴らしい備えを持ち合わせています。
新たな環境での自分磨きの中で、その素晴らしい備えをさらに強化するとともに、その備えを土台に、新しい環境でさらに強力な新しい備えが持てるよう、勉強に限らず、校内・校外でのいろいろな活動に積極的にチャレンジしてください。許される範囲でアルバイトにも精を出して、世の中の動きや社会のしくみを体感することもよいでしょう。
そうして自分の新たな可能性や能力に気づき、人としての幅をさらに広げ、将来それぞれの形や色の大輪の花を咲かせてくれることを願っています。
保護者の皆様、本日はお子様のご卒業誠におめでとうございます。また、3年間学校として、ここまで至らぬ点も多々あったこととは存じますが、皆様方のご理解と多大なるご支援により、今日の日を無事に迎えることができました。大変ありがとうございました。
これからの長い人生、様々な困難や苦労がお子様の行く手に立ちふさがり、不安や迷いがつきまとうものです。そんな時は、人生の先輩として、今後もお子様をよりよい方向へお導きくださいますようお願いします。
最後になりますが、巣立っていく卒業生の皆さんへ、幕末に活躍した皆さんもよくご存じの 吉田松陰の残した言葉を紹介して、式辞の結びとさせていただきます。
「夢なき者に理想なし 理想なき者に計画なし 計画なき者に実行なし 実行なき者に成功なし
故に、夢なき者に成功なし」
自分の夢を大事に、夢に向かってコツコツと努力して、実現させていく皆さん一人ひとりであって欲しいと思います。
皆さんの将来に、大いなる幸あれと、教職員一同切に願っています。
令和四年三月九日